ボリビアコーヒーとの出会い

ボリビアコーヒーとの出会いは、2004年のこと。 この年、はじめてボリビアでカップ・オブ・エクセレンスが開催されました その前哨戦として2003年には「マウンテンピーク」という国際品評会が開催され、そこに出品された 「リオ・コロラド」というコロニーのロットの出会いがはじめてでした。

・焙煎して「いや、堅い豆だなぁ〜」

・カッピングして「質感がなめらかで黒糖のような甘さがあるねぇ〜」

・何が違うのか明確に云えなかったのは確か、でも他の国にはない魅力を感じていた

ボリビアコーヒーはスペシャルティーコーヒーが産声を上げた2000年以降、アメリカ政府の経済援助が 盛んに行なわれ、小規模生産者やコロニーの方々にコーヒーの栽培に専念できるような環境が整えられ、 2003年からは「モクサプロジェクト」のもと、各生産者組合に最新の生産処理設備を導入し、生産者に チェリーの収穫、運搬、選別時の扱いにおける注意点などを教育する動きが活発になりました。 結果、前出の国際品評会からカップ・オブ・エクセレンスへの開催発展に繋がりました。

2006年のエボ・モラレス氏が大統領に就任を機に米国との関係をよそに、先住民の権利拡大、地方分権推進、 農地改革、土地所有制、天然資源の国有化などを盛り込んだ新憲法が2009年に発布、同年12月より実施されます。 これに伴いボリビア共和国は、ボリビア多民族国と名称を変えました。カップ・オブ・エクセレンスが開催された年と重なります。 (ご存じのアグロ・タケシが2009年ボリビアCOE最後のチャンピオン) 政権交代を境に、アメリカ政府の経済援助も停止し、開催資金のめどが立たなくなり、COEを開催する事ができなくなりました。

その後、ボリビアコーヒーはこのモクサプロジェクトやCOE入賞農園はじめコロニーの方々の手によって素晴らしいコーヒーが生み出されていきました。

かなり端折ったつもりですが、ちょっと長くなったので今回はこの辺で。 ボリビアづくしはまだまだ続く!

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エル・アルト空港(標高4,061m)に降り立ったときに現れた龍のような雲