ノンちゃんらしい百か日

ノンちゃんが虹の橋を渡った9月16日から、明日のクリスマスイブでちょうど百日。住むところは違うけど、常に一緒なのはわかってるんだけど。。。でもやっぱり寂しいものです。

亡くなってから、たったの一度も気配を感じたこともないし、夢にも出てこない。(笑) 虹の橋を渡った向こうでは、病気も苦しみもない世界で、たくさんのお友達と愉しく過ごしているんだと思えば、それはそれで安心なのです。

ノンちゃんへ

わずか6年あまりの暮らしだったけど。 とおちゃんもかあちゃんも、もちろん、セロにいちゃんもノンちゃんには、たくさん癒やされ、元気と幸せをもらったこと本当に感謝しています。悲しくないと言えば嘘になるけど、でも感謝の気持ちの方が大きいよ。ありがとう。ノンちゃん。

セロ兄ちゃんはね、ノンちゃんが来るまで時々痙攣発作を起こして大変だったの。でもね、ノンちゃんが来てからたったの一度も痙攣発作は起きなかったんだよ。だからね、セロ兄ちゃんどんだけ心強かったか知れないよ。

でね、ノンちゃん息を引き取るほんの少し前、とおちゃんもかあちゃんもいなかったほんの少しの間があったでしょ、そんとき二人で何話してたのかな。。。 今思うと胸がはち切れそうになるよ。

ノンちゃん、とおちゃんはノンちゃんに出会えて本当に幸せだった。愉しい夜も、辛い夜も、悲しい夜も、いつもそばにいてくれたもんね。ありがとう。

メリークリスマス!また会おうね!

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ノンちゃん虹の橋を渡りました

今日はノンちゃんの誕生日。 もう少しでしたが、この世で11歳を迎えることは叶いませんでした。9月16日16時、急性免疫介在性溶血性貧血(IMHA)という血液の病気が原因でした。 
あのふわふわくねくねのノンちゃんとはもう遊べないという現実を受け入れるのには、存在感が大きすぎただけに少しばかり時間が必要でした。 

春の血液検査ではセロくんと揃って健康万歳だったのに。


9月1日から徐々に食欲がなくなり、打つ手がない状態にまで病は進行していました。 強い薬と注射を繰り返すたび、強い副作用に苦しむ
ノンちゃんを見ていられず、薬も注射も止めました。でも後悔はありません。そして、9月6日の平成30年北海道胆振東部地震。
地震の翌日もクリニックの先生は往診に来てくれました。
ご自身の身の回りのことやクリニックのことがあるはずなのに、そのお気持ちがありがたく、とても温かい気持ちになりました。

ノンちゃんは最後まで本当に頑張りました。 何よりもノンちゃんからあの笑顔が消えていく姿が辛くて辛くて。でも本当に頑張りました。ノンちゃんをお寺がある火葬場に連れて行くその刹那、セロくんが高い声で泣くんですよ。「ノンちゃん連れて行かないでって」でも最後は、ノンちゃんが好きだったぬいぐるみを持ってきてノンちゃんの枕辺にそっと置いたんです。やさしいでしょう、うちのセロくん。偉い偉い、とおちゃん、かあちゃんを独り占めしてきたところにノンちゃんが来て、私たちの膝をノンちゃんに譲ったんです。やさしい子に育ってくれてうれしいです。

お寺でお経を上げていただいたんですけど、お別れのとき、お坊さんが「そうか、ノンちゃんはママが二人もいたんだね、二人の愛情をいただけて良かったね」と亡骸に声をかけてくれました。穏やかな穏やかなノンちゃんの顔に、悲しい想いはもちろんで憂いはありますが、甘え上で仕草がかわいいノンちゃんに巡り会えた大きな大きな感謝を心に刻み
これからも頑張って行きます!





生前、InstagramFacebookでたくさんの「いいね!」をありがとうございました。
また直接遊んでいただいた方々、ご町内の皆様、本店にご来店のたくさんのお客様
ノンちゃんをかわいがっていただき、本当に本当にありがとうございました。

ノンちゃんまたね!

 少し先になると思うけど、とおちゃんもかあちゃんも、セロ兄ちゃんもノンちゃんとこ行くからね。

ノンちゃんのダイエットことやウチに来た日のことなど、下記ブログ内のリンクでご覧いただけます。よろしければご覧くださいね。 http://yokoicoffee.cocolog-nifty.com/blog/cat24040576/index.html

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親愛なる ペドロさん

今日からペドロさんのコーヒーがリリース。ほんのわずかだけどゲイシャのナチュラルロットだ。ペドロさんが扱うコーヒーはもうずいぶん前からだけど、ペドロさんの農園のコーヒーは去年の秋に販売した「エル・フエルテ」が最初。

話せば長くなるのでかなり端折るけど、これまでの小規模生産者がコーヒーの栽培を止め収穫は激減。コカ栽培への転換が相次いだ。その危機感を熱い想いで復活を試みた。2014年に次いで2015年と、カラナビとサマイパタにペドロさんはたくさんの小さな農園を開拓。文字で書けば「あっ、そうなんだ。。。」って思うけど、そんな簡単なことではない。まっすぐな情熱と使命感と覚悟なしで成し遂げられなかったはず。

去年、サマイパタで生産された「エル・フエルテ」、胸が一杯になった。 そんなある日、携帯が鳴った。「あ、Dさんから。。。なんでFaceTime?」着信すると、「オラ チカラ!」携帯画面の向こうでペドロさんとダニエラさんが笑っている。ええええぇ〜。

韓国のWorld Barista Championship (WBC) 2017の帰り日本に寄られたことは知っていたが、事の経緯は、前出のDさんがホテルにペドロさん、ダニエラさんを迎えに行ったときのこと。フロントで神妙な顔をしているペドロさん。フロントの方に尋ねると、「お客様に横井珈琲様に行く方法を聞かれました」と。飛行機で1時間半かかると伝えたところだった模様。東京からそう遠くはないと思われたんだと思う。そのお気持ちがうれしくてうれしくて。涙が止まらなかった。

先日、ペドロさんの二つのコーヒーをサンプルローストした。たまたま居合わせた入店間もないスタッフと19年のベテランスタッフに何の情報を与えず飲んでもらった。風味の違いは当たり前として、「共に温かさとエネルギーを感じます。。。」と。僕はペドロさんには深い愛を感じている一人だ。

ボリビアの生産者は口を揃えて「ペドロさんのコーヒーは魔法がかかっている」と。僕はペドロさんの愛と情熱の魔法だと信じている。 だから人の心を打つコーヒーなのだと。少しでもその想いに応えたい。まっすぐに。。。

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コロイコのホテルにて:丸山さん、ペドロさん、ダニエラさん

野幌南蛮かすていら

高校の同級生がパセオ店のケーキの一切をやってくれている。同級生とは言っても高校時代は一度も言葉を交わしたことがない。ある日、友人が持ってきた手土産のマカロンを食べてびっくりした。数日後、ショップカードに書いてあるお店に行った。それが始まり。

ガトー・ド・ノポロ、江別の名店だ。

まだペアリングという言葉に馴染みがない頃(2011年の春の終わり頃)、コーヒーの愉しみ方を提案しようと様々なケーキを食べ歩き、詳しい方々のアドバイスや情報を仕入れるもうまくいかず。。。困り果てた頃、目の前に表れたのが手土産でもらった彼のマカロン。2秒でこれ作った人やばい人に違いない、と思った。

お店到着し挨拶をすると、、、、「よ、横井でしょ?」と、、、。向こうは知っていた。(笑)高校時代やんちゃだったので。色々と食べさせてくれたがいくらでも食べれるのに驚いた。ある日、すんごいタルトタタンをいただいた。リンゴの部分も凄いんだけど、タルト生地が凄くて驚いた。あ、これ、エルサル・デ・サルセロと一緒に愉しんだらやばそうだ。(笑)そう思って、マダムにも彼にも聞いた。「タルトタタンには何が合うんだろうね。。。」マダム曰く「え?紅茶でしょう。。。」と。。。必死にコスタリカのあの産地の酸がこの佐藤さんとこのリンゴにぴったりなんだけどな。。。と言ってお店を後にした。どうしても体験してほしくてコーヒーを送ったっけな。その後、電話があった。「ほんとよく合うね。。。」うれしかった。

そしてやっとの思いで15周年の記念のケーキを焼いてもらい、味あわせに向かったそのとき。目前にあったのは地味で具のないパウンドケーキ。(笑)そのとき、心の中でつぶやいた。「これは違うよな、、、と3回唱えた」でも彼はニコニコしながら、それをカットして私の目の前に差し出してくれた。いくつか合わせたいコーヒーを持って行ったが、ボリビアのコーヒーがプロバンスの百花密を使ったパウンドケーキにぴったし。(ノートを調べるとイルパナというマイクロロットだった)50過ぎたばかりのおじさん二人がコーヒー片手に見つめ合ったのが、百花密のパウンドケーキとボリビアコーヒーだった、、、というお話。以来、彼もコーヒーを意識してくれるようになりおすすめのケーキも徐々に変わっていった。その彼こそ、パセオのお店のケーキになくてはならないのが梶原さんなのである。

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野幌南蛮かすていら

パセオの3周年に向けた梶原さんの力作と横井の珈琲の第1弾のセットがこれ。尽きせぬ感謝と共にお届けしたい。

ボリビア(ヤナ・カチ)で見たキタのダイチ

アグロ・タケシ農園は、南ユンガス地方のヤナ・カチ(ヤナ:町、カチ:石という意)村という古い村に隣接している。このボリビアのヤナ・カチ(石の村)に初めて訪れ、当時、アグロタケシ農園の中でも一番標高が高い区画を回った帰り、目の前に広がる光景にとても懐かしい感情が沸いてきた。なんだろう、、、どこかで見た光景だ、、、、!!!!!夕張! 小学校の社会見学で行った夕張炭鉱でだった。

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鉱山で働く方々の「コロニー」というコミュニティ

夕張の炭鉱町、アイヌ先住民族ボリビアのコロニーと重なった瞬間。 ボリビアでは元々、鉱山従事者が集団居住を行い「コロニー」というコミュニティを作って暮らしを営んでいる。それはキタのダイチの炭鉱町と全く同じく日本各地から移住などで集まってきた炭鉱従事者に似ている。キタのダイチの開拓の歴史とアイヌ先住民族がコロニーの方々と重なり、ボリビアが心の中で繋がり遠くて一番近い生産国になった瞬間である。

発寒(はっさむ)は先住民族のことばに由来

発寒の地名は、寒さを発すると書くから冬は寒いんですよね、、、と道外の方々に何度か聞かれた。何気にそうかも、、、(笑)とも思っていたが、調べると「ムクドリがいる川」に由来する、とあった。(アイヌ語でハチャム・ぺッ)いくつかの小川を見ることが出来るが、そのほとりにムクドリを見たことはない。ちょっと発寒の歴史や北海道の開拓について少し。発寒本店が開店した1996年11月7日から数日が経った頃、ガラガラと戸が開きおばあさんが突然話し出した。

ここはね(お店がある場所)、田んぼがあってね、アイヌの人がそこの小川のほとりに住んでてさ、でね、あのマンションの隣にはね、囚人の刑務所があったのよ。。。」、更にリアルな悲しい歴史も教えてもらった。あのおばあちゃん、後にも先にもそれ以来一度もお目にかかってはいない。しかも、そのとき、お買い物に見えたのではなく、このことを私に言うただけに来てくれた。今思えばとても不思議な出来事。

開店して早々、北海道の開拓の歴史やアイヌ先住民族との関係性に関してたくさんの本を読んだ。調べていくとどこの国においても先住民族は追いやられてしまうことを知った。何ともやりきれない気持ちになったことをよく覚えている。シアトルに行ったとき、シアトルの由来は、スコ-ミッシュ族とデュワ-ミッシュ族の酋長の名前 (シールス)を英語に置き換えたもの、と現地のガイド(デュワ-ミッシュ族の子孫)から聞いた貴重な話。この二つの体験が北海道開拓の歴史とアイヌ先住民族のことはいつも心にある。

ボリビアコーヒーが一番好きになった理由もこの二つの体験にも繋がる。続く!

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JR発寒駅

はち切れそうな想いとは、、、、

コーヒー飲んで涙流したことなんかなかったんだけどな、、、(笑) 脱サラコーヒーオタク、22年前のことである。 そんな世界観すら知る余地もなかった。 ただ自意識が過剰だっただけ。 ものすごい小さいキャパで演じていたコーヒー屋。思い出すだけで恥ずかしくて顔から火が出そう、、、 だけど事実は事実。 しかし、一杯のコーヒーがきっかけにやがて海を渡り、生産地に立った脱サラコーヒーオタクは農園に着くなり、人目をはばからず、声を上げて泣いてしまった。「あ、横井さん泣いてる〜」もうどうしようもなかった。(笑) カップ・オブ・エクセレンスで優勝するとこんなに豊かになるんだな、本当に素晴らしいプログラムであることを改めて実感。皆さんの笑顔と何よりも奥様の笑顔にやられてしまった。うれしそうに農園を案内してくださったのは、コロンビア・カップ・オブ・エクセレンスの初代のチャンピオン、ロス・ノガレス農園のオーナー、今は亡きリカウルテ・エルナンデスさん。絶対に忘れない、忘れてはいけない。胸が一杯だった。

どんなに時代が進んでも、どんなに便利な世の中になっても、変わらないのは技術や機能だけではなく、人としての魅力があるかどうかだとつくづく思うのであります。熱い想いがじんじん伝わってくるコーヒーを作ってる人の愛情と困難に負けない強さに応えたい。私たちを家族と思ってくださる方々の想いに応えたい。こんな自分だけど精一杯、愛ある一杯に気持ち違えずお届けしたい。その中でも生産者としても人としても心から尊敬する生産者こそ、ボリビアのアグリカフェ社のオーナーであり生産者でもあるペドロさんだ。今日はペドロさんのゲイシャをサンプルローストした。色々な情景が頭を巡った。カラナビの風景。まだ見ぬペドロさんの新しい農園。ボリビアのコーヒーの灯火を消すまいと立ち上がられた強さ。私たちを思うペドロさんの温かさを感じ、心の真ん中がギュッと掴まれたような感覚に陥った。おいしい。ココに届くまでたくさんの熱い想いのリレーを経てやってきたペドロさんのゲイシャ。ちゃんとおいしく愉しんでいただけるよう万全の準備をしなくっちゃ!

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世界遺産のある、サンタ・クルス県サマイパタにある美しいペドロさんの農園